<風の街> Vol.1(2016.07.03/創刊号) 
■そこに物語はあるか
   作家の吉行淳之介は、エッセイで「気に入ったことばが見つかれば、そこから一篇の物語を編むことができる」という趣旨のことを書いたことがあります。そのためかどうかわかりませんが、吉行の小説のタイトルは、短い語が多いような気がします。
 「私も同感です」などと言って吉行と並ぶつもりはないけれど、でも、いわゆる「物語作家」にはそういう傾向が強いように思います。

 で、突然、話は変わるけど、先日、あるアイドル好きの友人と呑んでいて、「われわれはなぜ美少女が好きなのか」というテーマで盛り上がりました。
 「アイドル好き」、「美少女好き」を自称すると、すぐに、良くて「オタク」、ヘタすると「危ないオヤジ」などというレッテルを貼られてしまうので、あまり明かしたくはないのだけれど、中高年の女性に「ジャニオタ」や「韓流オタ」が珍しくないのと一緒で、決してアブナイ人種などではないことは、この際、声を大にして訴えておきます。

 それはともかく、議論百出して出した答は、「そこに物語を感じるから」というものでした。
 その「物語」とは、別名「妄想」と呼ばれるものも、もちろん含まれるけど、それだけに留まらず、幼き日のノスタルジアだったり、辿ってきた人生を振り返ってふと感じる“何か”だったりで、そのアイドルとどうにかなってしまうことを妄想することは、むしろ稀であるといってもいいでしょう。

 そう考えてみると、アイドルといった“人”だけでなく、たとえば歌なんかでも、そこに物語、ドラマが膨らんでくるような歌が、実はけっこう好きだったりします。
 たとえば、森高千里の『渡良瀬橋』。じっと聞いていると、まさに一篇のドラマが紡ぎ出されてくる。歌詞をここに書くことはできないので、こちらを参照して下さい。→

 まぁ理屈立てて解説するのも野暮な話で、読む人聞く人の感性のままに受け止めればそれでいいのだけれど、やはり、なぜ「あなたがこの街で暮らせない」のか、そしてなぜ「私ここを離れて暮らすことできない」のか、そこにいろんな物語を感じてしまいます。
 ありきたりな想像だと、「私」は親と離れるわけにはいかない境遇、「あなた」は今の仕事が好きで東京を離れられない、なんていうところでしょうけど。

 わりと最近知った曲に、辻香織の『ディセンバーワルツ』という歌があります。
 歌詞は見つけられなかったので、実際に歌っているものを聞いて下さい。→

 歌詞を表示できないから説明しづらいのだけど、気になるのは、「わたし」と「あなた」がどういう関係なのか、というところです。
 印象としては、二人は道ならぬ恋に落ちているんだけど、詞の中には、それを匂わす語、ワードは、一切ありません。
 しかも二人のそれぞれへの想いに温度差があって、彼女の方はまともな関係になって恋を成就させたいと想っているんだけども、彼の方はそうでもなくて、このままでもいいと想っている。
 歌の中に台詞があって、「犬があんなに急いでいる。おうちに帰るんでしょ?」と切なげにつぶやく。この「おうちに帰るんでしょ?」が、彼が家族の待つ家に帰っていくことを暗示しているとか、なかなか芸が細かいですね。
 聞くたびにそんな物語が空想の中で広がってきて、ホントに心が惹きつけられます。

 ちなみに辻香織は今現在36歳で、決して若くはないのだけど、声も容姿もとても30代には見えず、表現力もあって、この歌の完成は彼女に負っているところがかなり大きいと思います。

 その他に、「物語が広がっていく」歌としては、竹内まりやの『駅』、西内まりやの『ありがとう Forever』などが、自分の中ではマイブームかもしれません。

 ただ、物語が広がっていかない、つまり歌詞の中で物語が既に完成している曲もいっぱいあって、それはそれで好きな曲も数多くあるんだよねぇ。
 
■思い通りに生きるということ
   人間の生命には、思うがままに生きていくことができるパワーが秘められている、という思想があります。
 まぁ、この話を突き詰めていくと、宗教とか哲学の話になるんだけど、今回、書きたいのは、そんな深遠な話ではなく、どうしたら包丁がよく切れるようになるか、ということなんです。

 たとえば、長ネギを小口切りにするとき、切れない包丁だと、一番外側の皮がくっついたままになって、最後は手でバラバラにしなければならない、なんていう経験は、誰にもあると思います。ちなみに我が家では、食事の支度は私の分担なんだよね。
 最近は簡易研ぎ機もいろんな種類のものが出ていて、割と手軽に研げるんだけど、やはり砥石で丁寧に研いだものには適わなくて、数日で元に戻ってしまう感じがします。

 といって、砥石で研ぐのって、石に水を充分吸わせるなどの準備が必要だし、心が安寧なときにやらないと結局きれいに仕上がらない、ということもあって、これまた、けっこう面倒なのです。

 で、あとは切り方を工夫して、スパッ、スパッと切れるようにならないかと思うのですが、これが実は、あるんですよね、奥さん! いや、まぁ、奥さんに限定しなくていいんだけど。

 出し惜しみせずに結論から言うと、まず、「これは切れる包丁である」と強く思い込むことなのです。
 そして切るときに、重い中華包丁などをイメージして、「材料の上に乗せるだけで、あとは包丁自身の重みで自然に刃が入っていく」様子を思い浮かべて下さい。
 そうして切っていきますが、実際には垂直に刃を降ろす「押し切り」はしないこと。刃渡りの前4分の1ぐらいのところに材料の向こう側を当て、刃がまな板に着くときに刃の手前が掛かるように、向こう側に滑らせながら切っていきます。
 すると、あら不思議、本当にスパッ、スパッと切れていくのです。

 私は何度も試してみて、一つの結論を出しました。
 この過程で何が一番大事なのかを。

 ふつうなら、刃を滑らしながら切っていくこと、と考えるでしょう。実際、それは大事な動作であることは間違いありません。
 でもそれ以上に大事なのは、「これは切れる包丁だ、当てるだけで、包丁の重みで自然に切れていく」と、強く思い込むことの方だったのです。

 残念ながら、証明する術はありません。何回も試してみての、経験則です。
 おそらく、砥石で丁寧に研げば、そういうふうに心を定めなくても、よりスパッと切れることでしょう。

 そういえば、中国の古い故事に、こんな話があるそうです。

 ある若い武将が家を留守にしているときに、最愛の母を虎に食われてしまった。彼は母に虎への復讐を近い、戦に出るのをそっちのけにし、人食い虎を探し回った。そしてとうとうその虎を見付け、「母の敵(かたき)」と念じながら矢を射ると、矢は見事に虎を射貫いた。
 ところが、大喜びし、虎のもとに行ってみると、それは虎によく似た岩であったそうな。
 そして岩と分かってからは、そのあと何度矢を射ても、矢は岩に刺さることはなかったんだとさ。

 武将が主人公なので、戦いに臨むに際して一念を固めることがいかに大事か、を説いたものでしょう。でも我々平民(?)の日常生活には当てはまらない故事かというと、実は包丁でモノを切るときに何が大事かを教えている話なのでした。
 なんてね。
 
■編集後記
   いろいろ試行錯誤しながらも、なんとか第1号の発行にこぎ着けました。
 「はじめに」では、ケー・エム・プランの宣伝のために出した、なんて書きましたが、もちろん、それがすべてではありません。
 まぁ何というか、書く、という仕事をしていると、どうしても常に発信していくメディアが欲しくなってきます。

 今の世の中、決していい時代とは言えない――これは誰もが認めることだと思います。
 そういう世の中に対し、――まぁあまり大きな風呂敷を広げるつもりはありませんが――なにか、変えていくきっかけを、いろんな人たちと一緒に考えることができたら、という気持でいます。

 書いていく大半のことは、どうでもいいようなことばかりになると思いますが、その中で、100に一つ、1,000に一つでも、人間や世の中の「深淵」に迫れたらいいなと、密かに思っています。

 もし、書いたことに少しでも共感や反感をいただけたら、メールでご意見を賜ればうれしく思います。

 master@kmplan.net
 上のメールアドレスをコピーし、全角で打っている「@」を半角に打ち直して使って下さい。

 よろしくお願いします。