<風の街> Vol.2(2016.07.20) 
■ドラマに見る自衛隊への評価
   先月、東京に住む娘のところに行ったときに、Amazone Prime の会員になっていると、提供されている映画やTVドラマが見放題だよ、と教えてくれました。
 PCだけではなくスマートフォンでもOKと言うので、さっそく見てみると、そんなにタイトルは多くありませんが、見たかったもの、懐かしいものもけっこうあって、札幌に戻ってからも、夜、寝床に入ってから見る習慣がついてしまいました。

 そんな中で、つい、全編、割と一気に見てしまったのが、有川浩原作のTVドラマ、「空飛ぶ広報室」でした。
 内容は、詳しくは公式サイト( http://www.tbs.co.jp/soratobu-tbs/ )を見ていただければと思いますが、TV局で報道志望だったのに意に反してバラエティ班のディレクターに追いやられた、新垣結衣演じるリカ、そして航空自衛隊ブルーインパルスのパイロットに選ばれながら、事故で操縦ができなくなり、失意のまま広報室の仕事をこなしている、綾野剛演じる空井、この二人の再生と恋の行方が、物語の主軸です。

 そしてもう一つの大事な軸が、リカの「自衛隊観」。
 世間で自衛隊を否定している人と同じようにリカも見ていたのですが、空井をはじめとする広報室のメンバーと関わる中で、自衛隊を理解していく――もしかしたら制作者側は、こちらの方が主軸だったのかもしれません。

 このドラマに出てくる空幕広報室は、たぶん、現実離れしていると思います。チームは基本的に雰囲気がいいし、皆、仲が良い。野心を持つ人や腹黒い人は一人もいません。
 時々、ボタンの掛け違え程度の誤解なんかも生じますけど、その回の最後には大団円を迎えます。

 物語の中では、自衛隊の中の醜い部分にもまったく触れていないわけではありません。
 たとえば、防衛大を出て幹部として赴任した女性に対し、下の階級ながら、ベテランで実質的にチームをまとめている男が先導して部隊からハブるとか。
 でもそのことは、その女性が現在、広報室の一員で、そのことをトラウマにしているんだけど、ある任務を機に、その時の部下と和解し、トラウマを克服する材料として描かれています。

 つまり、自衛隊をきれいに描いているんだよねぇ。

 断っておくけど、このドラマそのものは私は大好きで、テレビっ子でドラマ好きの私の、これまで何10年と見てきたドラマのベスト5には入ると思うし、この自衛隊の描き方に、嫌悪感も否定する気持もありません。
 ただ、視聴者がこのドラマの中の自衛隊の描き方を見てどう思うのか、それは気になるところでした。

 終盤で、広報室が作った空自のPR動画がネット上で大評判になったときに、ある評論家が、リカの局の番組で、「ヤラセであり、そんなきれい事では済まない」と批判します。
 当然、空自は抗議しますが、局側は、「局としての意見ではない、出演者個人の意見であり、それを封じることこそ言論の統制になる」と、謝罪を拒否します。そしてそのことで、リカも立場が悪くなり、結局、自衛隊の担当から外されてしまいます。

 このあたりから、二人の恋の行方も迷路に入り込むのですが、それをひっくり返したのは、東日本大震災でした。

 公式サイトを見ていただくとその辺の流れが分かるので、ここでは触れませんが、「我が国で軍隊はダメ」という世間の批判に対して、災害救助、人命救助に命を賭けている自衛隊の活躍を描くことでしか、自衛隊を「是」とする意見を正当化することはできないのか――今回あらためてこのドラマを一気に見て、考えさせられたのはその一点でした。

 物語の初めに、リカは空井に対し、「戦闘機は人殺しの道具」と言い放ちます。
 中盤以降、リカの自衛隊観の変化の中で、「国を、国民を守るために、たとえば領空侵犯に対しスクランブルをかける」ことを描いていますが、私が思うに、これは「戦闘機は人殺しの道具」に対する直截的な答にはなっていないのではないか、そんな気がします。

 自衛隊は「災害救助隊」でよい――という考えも我が国で根強い中、そして昨年、いわゆる安保法制が成立して騒然としている中、さらに言えば、憲法改正がいよいよ俎上に乗ってきた今だからこそ(今はまだマスコミが一人騒いでいる感じだけど)、このドラマは、平和とか、軍備とか、そして自衛隊とかを考える一つのきっかけにはなると思います。

 良くできたラブコメとして見て、「ああ面白かった」で済ませたら、ちょっと残念かもね。
 
■「美しい」ということばの響き
   ここ何年か、雑誌やネットでよく見かけるのが、「美しすぎる××」という女性を飾ることば。
 「美しすぎる議員」とか、「美しすぎるアスリート」とか、まぁ確かに可愛いと評価される範疇には入るのだろうけど、「美し“すぎる”」というのは、まさにちょっと過ぎたる讃辞じゃないか――と思わせる例も少なくありません。

 一方で、某首相が官房長官時代、「美しい国」ということばを基本理念とする政権構想を表明したりして。
 尤も今はこのことばは引っ込めて、「新しい国」を標榜しているようですが。

 そんなことがあるせいかどうか、最近、「美しい」ということばそのものに、ある種の胡散臭さを感じてしまうのですが、これは私の僻目でしょうか。

 でも、そうは言いながらも、商売柄、「美しいことば」「美しい日本語」には、やはり敏感にならざるを得ません。

 実は先月、中学時代の同級生と会って、そのうちの一人は中学卒業以来の再会だったのですが、思い出話に花が咲く中で出てきたのが、憲法前文を憶えさせられたことでした。
 「共産党」というあだ名で呼ばれる社会の先生がいて(本当に共産党支持者かどうかは知りませんが、少なくとも組合活動には熱心でした)、中1の時、その先生が担当するクラスでは、全員、憲法前文を暗唱させられたのでした。

 その集まったときも、4人中3人まで、一部というか、前半ぐらいまで憶えていて、一人が憶えているところまで朗々と(?)詠じたのですが、それを聞きながらふと思ったのは、「あ、けっこう美しい文章だな」ということでした。
 私も、前半ぐらいまでは辛うじて憶えていましたが、そうとう長い間、あらためて読んだこともないので、日本語として、文章としてどうなのか、ということは一度も考えたことがありませんでした。

 特に、文章としてきれいだと感じたのは、

 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

 のくだり。

 まぁ、ここで問題にしているのは「文章としてどうか」ということなので、政治的な解釈や成立の背景などには、今は触れませんけど、「人間相互の関係を支配する崇高な理想」に、格調の高さ、精神性を強く感じます。

 ただ、実際には、「人間相互の関係を支配する崇高な理想」とはどんな理想か、ということは示されていないんだよね。
 でも私は、ここに、赴任当初は理想主義者だったとされるマッカーサーの、平和で心豊かな国を作りたいという願いが込められている気がします。

 繰り返すけど、9条の改正にイエスかノーかを答えてレッテルを貼られるのもイヤなので、それは置いておきますが、改憲と呼ぼうが加憲と呼ぼうが、いずれ改定されるのは必定だと思います。
 ただ、その時に、浅薄で底の浅い前文を冠するのではなく、文章的にも、そしてそこに込められている平和主義、人間主義という思想の上でも、後世に誇りと思ってもらえる「ことば」を紡いでほしいと、切に願います。

 
■夕景の茜色
   このサイトのトップページの写真は、我が家から見た夕景の写真です。
 他にも、けっこう夕焼けや朝焼けの写真を挿入していて、それは、これからもたぶん続くと思います。

 何故かというと、単純に、好きだからです。
 携帯電話を取り替えるたびにカメラの性能も向上してくるので、もう今では、9割以上、携帯(スマホ)で写真を撮っていますが、一番多い被写体は、やはり夕景です。
 本当は朝焼けも劣らず好きなのですが、なにせ朝焼けの時間は、だいたい夢の中…。必然的に、撮る写真のほとんどは夕景になってしまいます。

 いつだったか、友人と二人で呑みながら話していて、突然、「朝焼けと夕焼けの色って、似ているけど違うよな」と振ってきました。もちろん、私もずっと感じていたことなので、深く同意しましたけど。
 ただ、その時は、どう違うのかが、二人とも説明ができなかった。
 でも今は、こう思っています。「朝陽は生命力、夕陽は鎮魂」だと。

 朝陽の「生命力」は、説明の必要がないと思います。
 夕陽の「鎮魂」というのは、一日の中でいろんなことがあって、必ずしもいいことばかりではない日も多いけど、その一日の終わりに感じる猛った気持も、深く沈んだ気持も、全部、平らかにしてくれる、まぁそんな意味です。

 なので、朝陽、朝焼けは、力強い光だけど一本調子、夕陽は、同じ色でも見る人によってその色合いを変えてくるのではないでしょうか。

 まぁでも、ごく稀に、全空を見事な茜色に染める朝焼けというのもあって、もしそんな写真を見せられたら、朝陽か夕陽か判断がつかないでしょうけどネ。
■編集後記
   来月は終戦記念日があるからってわけではないけど、なんとなく、平和に関係する記事になってしまいました。別に意図したわけではありませんが。

 まぁでも、記事にも書きましたけど、もう間もなく、マスメディアの主導による「改憲騒動」が勃発するのではないかと思います。
 と言っても、今のマスメディアは、明らかにマッチポンプみたいなところがあって、まだ政治家や世論が動き出す前から火をつけて、それがあたかも世論の盛り上がりのように見せる報道の仕方をします。
 いや、火をつけるだけつけて消火をしないから、単なる“マッチ”にしか過ぎないかも。

 いずれにしても、否応なく、一人一人が考えて自分なりの答を持たないといけない、そんな日が来るのは間違いないので、今のうちに少しでも先んじていただければ、というのが密かな願いです。